手帳改め日記帳出し

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

ここではないどこかでしばらく日記を書いていた。

そう。おれが知らないどこかで日記を、確かに書いていたはずなのだけれども。どうにも日記を「書いていない」という気がしている。

ここではないどこかを作り、書きはじめた動機はいくつかある。

最近、仕事が楽しくなくて、なにかを作っているとかなにかをよくしているという実感を、仕事を通して得られなくて、それで自分が必要としている、渇望としているものを自分自身の手で作ろうと思った。

自分が失いたくないものとはなんだろう、と考えてみて、これはすぐに答えられた。感情、現象、「日常」と括られるあらゆるものを留めておく場所だ。

だから、場所道具を作った。

ところで“Deary”という名前は自分で考えたものにしては珍しく気に入っている。手帳になにかしらの思い入れがある人々がいるように、自分の断片を記録すべき場所あるいは道具に思いを馳せる人として、自分が記録されゆく場所であり道具であり記録そのものに対する感情。

最近は再びこちらに日記を記している。いくつか理由はあるけれど、書き記すための「道具」としてよく手に馴染んでいるということがあげられる。大きなテキストエリア、シームレスなバックアップなど。

ちょうど1年前に日記を書く場所について考えたことがあり、そのときも今回も「誰かに見られている」ということが悪いように働いているのではないか、という懸念があった。

しかしながら自分の知りえない誰かがいつかこのどうしようもない日記を読んでなにかを思う機会を作りインターネットに還元していくということが、ハイパーメディアコンシューマーとしての自分の果たすべき義務なので、きちんとむこうがわとこちらがわに壁を作りながらインターネットにどうしようもない日記を書き記し続けることにした。


この日記が私にとっての手帳であります。

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明日、12月13日は id:neverm0re さんです。