たまに Facebook を見たら TK がアコースティック & エレクトリックの弾き語りツアーをやるのでチケットの先行予約をはじめました、という投稿があって、こうしちゃおれんとなったので予約した。
それで玉突き事故のようなかんじで Facebook で高校のときの同級生の近況を見た。
大して仲良くはなかったが面識のあった女の子は結婚していた。この人は芯があるな、と感じていて、それは顔立ちにも表れている気がずっとしていた。目鼻立ちがはっきりしていて、媚びを売るような友人付き合いらしきこともせず、仲良さそうにしている友人といつも一緒にいた。
その人と仲が良かった女の子が好きだった。しかし、いつも周りにいるその人がなんとなく苦手で話しかけづらかった。別に人当たりが悪いわけではなかったのに。
顔立ちも喋り方もはっきりしていて、よくわからない友人付き合いを持つことなく生活している彼女の前に立つと、目を合わせずぼそぼそと喋りがちな自分はなんとなく謗られるような居心地の悪さがあった。
高校のころまでは、ずいぶんと苦手な人が多かった。苦手な人とどうしても付き合いを持たないといけない時間が多かった。
ここ数年、他人のことを苦手だとか、付き合いやすいだとか、そんな風に感じたような記憶はごく少ない。だんだんうまいやりかたがわかってきた。粘土でできた人形かなにかだと思えば楽なもんだよ。
目の前にいる人間が尊いとか、どこか知らないところにいる人間がどうでもいいとか、そういうわけじゃなくて、ちゃんとそれぞれに日常を確かに持っている人たちだけが本当に生きている人たちであって、心臓が動いているからといって、おれがそれらを生きた人間として扱わなければならないというわけじゃあ、ないんだよ。