この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

「誰かを傷つけない」ように生きたとして、誰かを傷つけることはないかもしれないけど、誰かをしあわせにすることはなくて、それは、誰かをしあわせにしようとして、誰かを傷つけてしまうことより価値のあることなのか、尊ばれるべきことなのか。

いや、しあわせにするとかしないとかではなくて、単に自分がおもっていることを言うか言わないか、ということについて、誰かのしあわせを願うだとか、そういうことを言い訳のように出すのは筋違いということだ。

「誰も傷つけない」なんて「誰もしあわせにしていない」どころか「誰とも関わっていない」ということとなんら変わりがないだろう。