宝達山

夏も終わりかけで再び登山。

天気の良い日で雨の心配がなかったのは良いけどまあまあ暑い。

登りはじめに両肩と前腕を蚊に刺されて、見たことないくらい腫れたのでダニとかに刺されたのかとかなり焦って登っている最中は気が気じゃなかった。

ムヒアルファEXを用意していたので、すぐにそれを塗ったらかゆみ自体はほとんど気にならなかったのは良い。山にいる強い(?)蚊だったと思われるので、塗っていなかったらかなりかゆかったと思う。

また水の量が少なさすぎて、水の量が少ないことによる不安もあった。水不足で体調が悪くなったということはなかったけれど、まだ暑かったしメタな不安は募った。

あと山頂に自動販売機があることは知っていて、そこで補給できたらするつもりで現金を持っていったけれどお札だけを持っていったら釣り銭切れでけっきょく何も買えなかった。よっぽどのことがなかったら190円 (10円×4、50円×1、100円×1) は持っていってもよいかも。

今回、Scrapboxにページを作って持ち物リストを書き出して、帰ってきたら振り返りを書くスタイルでやってみたけど、なかなか感触がよかったので今後も続けると思う。

ゆるいKPT形式で書き出し、気になった問題点をAlt-↑で上に持ってきてアクションアイテムを立てる。

アクションアイテムは強調して、たとえば何かを買い足すといった具体的なものだったらその場でタスク管理ツールに入れてしまう。

いまTodoistを使っているのでせこせこ書き出していく。

心構え的なやつは、次に登山する時に同じようなページを作る際に参照して、たとえば持ち物リストに反映するとか、必要であれば事前準備タスクに書き出すとかする。

登山関係に限らず、最近はScrapboxなりでアナログにテキストを書きまくって運用でなんとかするというやりかたがロバストだしツールに使わされる感もないので気に入っている。

Pixel 8のディスプレイを修理した (してもらった)

「Pixel 8」のディスプレイにまっすぐ縦線が入ったので修理に出します - ケータイ Watch

いつのまにかGoogleから延長修理プログラムが発表されていたらしい。

この記事を見て知って、その時は「ふーん」と思って終わっていたのだけれど、次の日に症状が出た。Pixel 8も記事を読んで思い出したのかもしれない。

この症状の修理に限って保証期間を過ぎていても無料で対応されるらしく、調べるとGoogleに送るか認定修理サービスプロバイダで受けるか選べるらしい。

Googleに送る場合は初期化が必須で、それはすなわちSuicaの移行手続が必要ということで、OSのデータ移行はともかくSuicaはかなり手間だしミスるとかなりめんどうなので気が引ける。

認定修理サービスプロバイダはiCrackedが担当しており、石川と富山に店舗があるのでこちらに持ち込むことにした。 が、石川の店舗はまったく予約がとれなかったので富山の店舗で予約をした。

iCrackedの予約サービスの体験は本当にひどくて、1日ずつ枠があるかリクエストを投げて1000msecくらいしてから「枠がない」と返ってくるので次の日を開く……という繰り返し。 最大で30日先までの日程でしか予約できないので、30回繰り返してダメだったらもう一度IMEIなどを入力してから別の店舗を選んで同じ手順を繰り返す羽目になる。

修理の見積もりは2時間と出ていてどう時間を潰そうか悩んでいたけれど、実際は40分くらいで終わった。

修理をする前に他の不具合がないか調べていて、専用のアプリかWebページかを開いてジャイロやディスプレイのピクセル欠けなどをひとつひとつチェックし大丈夫だったら人間がOK/NGを記録するという仕組みらしくて興味深い。

修理自体は問題なく終わって、症状も無事に収まった。ちょっとGalaxy Z Fold 7とか気になっていたけれどせっかく修理したし、そんなにスマフォに金をかけてもな……という気持ちではあったので、もうちょっと使い続けられそう。

35

前: 32歳になった - 『言葉を吐く』

2年分書いていなかったらしい。

ソフトウェアエンジニア35歳定年説というよくわからない話が一昔前に流行り、もはやミームと化してディティールを誰も覚えていないような与太があり、その年になった。

定年退職というかFIREできるならしたいけれど、そうも言ってられないねってかんじ。

最近はAIコーディングエージェントだなんだという話が盛り上がっていて、なんやかんや転換点に立てて楽しいかんじ。


人生のほうは、なんというか口を開けて立っているだけで刺激とか変化が勝手にやってくるようなかんじではなくなったというか、一回りした印象。このまま惰性で座り続けていたら急速に老いていきそうだという予感がある。

だからというわけでもないけれど、登山やカートに取り組みはじめた。

ふと物思いを始めた時に「まったく新しい経験ができているのか」「何もかも知っていることじゃないのか」という袋小路に入りかけるけれど、そもそも既存の知識や経験でできた枠の中に収まる範囲で物事を見るから目新しさがないだけなのだと考えるようになった。

登山 その後

登山を始めた - 『言葉を吐く』

5月までに近場を登ってから今はオフシーズンとしている。

まず低山で慣れようと考えていて、すると当然ながら標高が低く平地とあまり気温が変わらないので6月あたりから外で運動するのに耐え難い環境になってしまう。

9月あたりからまた登ろうかなというかんじ。

今は体力作りということで、毎朝Fix Boxingをやっている。

  1. 起きる
  2. 歯を磨く
  3. 顔を洗う
  4. 朝食を摂る
  5. ハイポトニックウォーターを作る
  6. Fix Boxingする
  7. シャワーを浴びる

……という流れが板についてきた。

寝る前に風呂に入って朝すぐシャワーを浴びるのはなんだかもったいない気もするけど、ちゃんとそろばんを弾けば6~8時間くらい寝ていて、四半日が過ぎているわけだから汗もかくし別に極端にインターバルが短いわけでもないのよな。


登山というか自然に出る上で野生生物のことは切っても切り離せない、というのは頭ではわかっているが衝撃的なできごとや身近な場所で起きたニュースを見ると、そんな危険を冒してまで自分は何がしたいんだろう、みたいなことを考えてしまう。

別に登山に限らず、大抵のことには何かしらの危険が伴うけど、特に野生生物は外から制御し難いし、人間にとって危険であるという観点だけで状況を支配することの是非という観点もあって、自分にとってはそう単純に考えきれないところがある。

そう考えると、生命体という自律した思考を持つ存在より、自然現象のほうが相対しやすいというか、事故が起きた時に自分の中で割り切れそうな気がする。

なのでせっかく石川にいるわけだし冬にもっと登るのが良さそう。


登山が続きそうなら靴を買おうかなという気になっている。

本物と偽物

偽物が本物に限りなく近づこうとするような話が好き。

ここでいう「偽物」は「元来からのそれではない」とかそういうニュアンスだけど、では「後天的にそれになったもの」と単に表現すれば過不足ないかというとそうでもなく、非常に難しい。

半恒久的な変化を既に遂げたわけではなく、不断の努力によってそうあり続けている・振る舞いを保っている、というニュアンスが近いか。

もっと言えば:

  • 自身が「本物」ではない自覚がある
  • 「本物」に至る道や手段があるが何らかの事情によりそれを選び難く、それについても葛藤を抱えている
    • (しかし最終的にこの葛藤と共存することをよしとする)

……というディティールも好き。


ちなみにこのレトリックは自分で生んだわけではなく、おそらくFate/stay nightあたりで触れたものだと思う。

例を挙げると必然とフィクション作品のネタバレに繋がるのでおおっぴらに書きにくいけど、特に最近のホヨバースタイトルにはそういうエッセンスが多くて好き。

もっと辿れば『ピングドラム』もそうかもしれない。


「自分は一体何をなしてきたのか」「何をなせるのか」みたいなことで悩む時期でもいい加減ないよなと思うし、そういうことで悩んでも不毛だとも思うけど、一方でまったく悩まないというのも漫然と余生を過ごすだけになって致命的なことにならないかという不安もよぎる。

けっきょくこういう自己実現みたいな話は、1mmでも前に進むようなことをしないと話が始まらないところはある。

ではそこまでわかっていてなぜ前に進まないことがあるかといえば、大海原を見渡した時に既に錦を挙げた人々が目につき、その距離に思いを馳せた時の途方もなさにやられるからである。

目につく遠くの錦よりも、より刺激的なものを置いて目を背けさせれば気にならなくなる。その刺激物としてのストーリーでもあるかもしれない。

「それぞれが自身の人生の主人公だ」みたいな表現は、正直陳腐すぎるし美化しすぎて頷けない。せいぜい土地の所有者くらいだと思う。

立地や面積は同じではないし、維持するために代償だっている。誰しもが城を建てられるわけではない。しかも易々と手放すこともできない。

砂場遊びに終始するかもしれない。砂の城は石を積み上げて作られた城ではないけれど、それを作り上げることができたならまた別の趣がある。しかし砂の城は砂の城であって、石の城ではないということをきちんと知り奢ることも謙ることもなく鷹揚に生きる。

というありさまが好き。