交換日記を交わしていた子が風邪で休んだのでプリントを届けに行く。

あれ、でも今自分は京都にいるから北海道に帰らないといけないのか? と冷静になって飛行機に乗らないといけないことに気がつくけれど、ちょうど自分は帰省していて北海道にいることを思い出し新千歳空港から地元に帰る。

 

転校したけれどどこにいるんだろうと思ったら地元の外れにいることを知って、市役所の2階で待ち合わせる。

3日目。チームでの顔合わせがあったり、だいぶ雰囲気が掴めてきた。

寝るのが遅かったのと9時半から顔合わせがあったプレッシャーが強すぎてぜんぜん眠れなかった。すごく眠い。たぶんこれを書いたらすぐにくたばる。

来週は追いかけている漫画の新刊ラッシュだし、金曜日にはDiscordで集まってスマブラやろうっていう話もした。あとISUCONの練習もする。

 

新しい職場2日目。泥のように寝て起きた。信頼貯金もないので寝坊できないと考えると朝の緊張感はかつてない。それだけ緩んでいたということでもある。朝はほどほどに起きたい。

オフィスにいても業務時間中は他の人と積極的に話そうとしないし、実際自宅で新しい環境であっても暮らしは変わらないけれど、Slackでもオフラインでも仕事が終わったーっていう時にごはん食べに行こうよって誘う相手も益体のないことを話す相手や放り投げる先がないのは寂しい。

寂しいし、毎日こういう生活が無限に続いてそのまま寿命を迎える未来が容易に想像できて嫌だな。嫌といっても変えるも変えないも自分次第だけど。

昨日がめちゃくちゃに暑かったので今日はすごくましに思える。

職場を変えて一日目。めっちゃ疲れた。仕事は自宅でするので劇的に何かが変わったかんじはまだしない。

前職は長くいたことで、良い意味で手の抜きどころがわかっていたり、ある程度やることが複数あったり自分から課題を見つけにいくアンテナが立っていたので暇な時にやることがあったり、うまく仕事するリズムが作れていたけれどそれがなくなったのと緊張があって疲れきってしまったんだと思う。

あと日中めちゃくちゃ暑かった。京都市は最高気温40℃。正気か?

 

昨日、8/14が最終出社日。人生初の退職。何も長続きしなかったゴミ人間がよくも8年勤めたものだと思う。えらい。

zoomで送別会をしてもらった。コロナ禍の中にあるし、そもそも東京と京都に拠点が別れているので両方の拠点の人々が一同に介することはそうそうない。
オンラインでやるおかげでたくさんの人が挨拶してくれた。本当にありがたいし、そもそも自分の送別会をこんなに手厚くやってもらえるとはまったく想像できなかった。

夕方、荷物を片付けたり事務手続きを進めるころになったら辞める実感が湧くかなと思ったけれどそうでもなくて、送別会が終わって帰る間際、御池ビルを見上げる時には感慨が湧くかなと思ったけれど、これもなかった。
お世話になった元同僚からビデオレターが来た時はどうやってコラ映像を作ったんだろう? よく手間がかかっているな? と信じられなかったけれど本物だとわかるとじわじわ感動した。
酔っ払った上司が別の元同僚に声をかけたら連絡をくれた。

自分はそんなに義理堅い振る舞いをしてこなかったと思うのに、本当にありがたいし嬉しいかぎり。

京都を離れるのはもうちょっと先だから? そうかもしれない。でも、単に辞めたあとの自分を想像できていないだけだと思う。

良い年になるのに、ふと一人になれば思春期みたいに言い様のない不安に苛まされたりする。新しい職場でうまくやれるかな、とかそんなに大したものですらない、もっと漠然とした濁りのような不安。

でも思い出話はじゅうぶん咲かせ切った。言い残したことはない。言うべき事は時と人の組み合わせで、人とは縁ある限りなにかを伝えることはきっと叶うはずである。
mixiのマイミクもTwitterのフォロワーも焼け野原にしてきた自分はついに10年経ってリセット症候群を脱せられるのだろうか。知らん。

京都は狭いから歩けば顔を合わせることもあるだろう。そうでなくとも生きていればまた。その時にうっかり同僚の顔をせずに元同僚の顔がきっといられるだろう。
こんな通過儀礼、30になって初めて迎えるなんておかしいね。多くの人はきっとリセットせずにちゃんとアップデートしつづけてきたんだろう。

あほくさいけれど、そんなことでうじうじするのもよりあほらしいことである。そんなことはいくらでもある。ただの数十年生きた幼いこども。

良い仕事を成し遂げて祝杯をあげたい時、遅くまでやっているから仕事に熱中して夕食を逃しそうな時の助け船、ひとりで食べたり、同僚と食べたり。
益体のないことも、ちょっと身のあることも、いろいろ話す時間が好きだった。世相が変わって久しく失われてしまったけれど、病める時も健やかなる時もなんともいえない時もぱっとしない時もカマルのバターチキンカレーを食べるのが自分のベンチマークでありご馳走でありいつもの食事であった。

これからも食べに来るだろうし、今日は何も特別ではない人生のただの一日、だからカマルを食べた。

f:id:aereal:20200815025750p:plain

サンキューです。