この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

「あ、この人は今知ったかぶりをしているな」と気付く瞬間が増えたように思う。自分が深い理解を得たのか、敏感になったのか、そういう人が周りに増えたのか、あるいはいずれかの複合なのかはよくわからないけれど。

どういう時に気付くかというと、ある話題を広げようとせず断じようとするときがあって、そういう仕草が防衛的に映る。それ以上掘り下げるとぼろが出るので線を引こうとしているように見える。

しかし書いていて、単にその人の浅学ゆえに既に底を見ていると信じ込んでいるのかもしれないな、と思った。

ものすごく上から目線でものを見ているような言い方をしている気もするけど、そういう場面に出喰わすと広がるはずだった話題に天井が設けられてしまって、せっかくの芽が潰れてしまったなあと惜しむ気持ちでいっぱいになる。

こういうことがあってこうなんですよね、と話すと、さらにこういうところもあるんだよね、と新しい視点をもたらしてくれる周りの人と話すのが好きなので、そういう楽しみの芽は育てていきたいし、だらだらと生きながら時間の経過と共に半ば惰性で重なってきた知識にあぐらをかくことなく、発見に喜びを感じつづけたい。

最近、職業柄を意識して事実と見解をはっきり分けて述べることを意識し、事実は事実とわかるように断定調で話すようにしているのだけれども、言い切る言葉の強さだとか事実を人に伝える立場の優位性みたいなものにだんだん意識が歪んできている気がする。

いかんな、と思っているのでもっと楽しくいきたい。