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思い立って短編集を買って読みはじめてから気になってきたので本編も買って読んだ。

最近、年齢を重ねて小説やアニメを見たり読んだりしてもさほど感情が揺さぶられることもなくなってはずなのに、読めば読むほど冷静じゃいられなくなったし彼ら彼女らが本当にうらやましかった。

なんでかといえば全国に行ったからだろう。それに尽きる。

コンクールを目標にする意義とかあるのかとか、うだうだ考えたりした時期もあったけど、とにかくコンクールに出るというなら納得のできる結果を残したかったというのが本当のところだったし今もそうだろう。

基礎から発展まで練習を重ねて、アナリーゼもやって、課題曲も自由曲も吹き飽きるほどに吹き何度もこきおろされ好きなのか嫌いなのかよくわからなくなる、それほどに、有り体に言えばがんばったからには、そして最高の演奏をしたからには、つまり納得のできる結果というのはいい結果のことだろう。

しかし結果は出せなかったので最高ではなかったし、全国には行けなかった。

けど彼ら彼女らは行ったのである。フィクションとかそんなの関係ないし、全国に行ったことはないけどそのステージに立っての高揚感はわかる。わからないわけがない。

とにかく彼ら彼女らによってありもしない体験を追体験させられ、ありもしない記憶を植え付けられたのだった。

アニメを見ていたときから不思議なのは、野球部だった人が野球漫画やアニメを見ても、こんな風によくわからない気持ちになったりするんだろうか。あるいは甲子園の中継を見るとか。

まだ自分が若いから、吹奏楽を離れて時が経っていないから冷静になれていないだけなのか?

なんでこんなにも彼女らに、羨望とも懐古ともつかぬ気持ちを抱くんだろう。

ホルンの教則本を手にとったら前書きにこんなことが書いてあった。いわく、ホルンはむずかしい楽器といわれている。ホルンに限らず楽器というものはかくも難しくあるのは、才能のない者や意思の弱い者を除き音楽が尊いものでありつづけるよう神が仕組んだからなのだ、と。

障壁を高く保つことでクオリティを担保しつづけるという仕組みであることは理解できる。納得できないところもあるけど。

全国大会にいった彼女たちがとても羨しいけど、一方で自分はいかなる理由や事情があるにせよその道を歩むことはやめたわけなので当然その先にある喜びだとかを得られないこともまた仕方がないのだ。(未だ見ぬ) あそこの高揚感や達成感、悔しさだとかは彼女たちだけのものなのだ。

「楽しむ」ということは「楽をする」ということではない。「趣味」はちゃらんぽらんであることをごまかすための詭弁ではない。

都合のいいことばかり考えていろいろごまかしてきたが、こんなに悔しい気持ちをまた味わいたくないのでこれからは恥も後ろめたさも一切ないよう取り組む。