この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

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自転車で上野橋から木津を往復してきた。Moves によると総移動距離110kmとからしい。帰ってきてからの移動もあるので厳密には上野橋から木津ではないと思うけれども。

梅津街道を下がると桂川に架かる上野橋に立ち、そこから出発した。嵐山が起点でないのは、連休で人が多そうだったから。

上野橋から淀は、以前に走ったことがあるけれども、木津はそれの倍以上ある。

行きは緩やかな下りであることも手伝って快調で、休憩らしい休憩はあまりなく、城陽のあたりでコンビニに寄ったくらい。

カロリーメイトとブラックサンダーで糖分とカロリーを摂っていた。水分はずっとポカリで摂っていた。

木津に着いたときは疲労感もそこそこというかんじで、まあこんなものか、と思っていた。この時は。

木津駅が近く、踏切がすぐそこにあったので JR 学研都市線の上りと下りが通過するのを眺めて満足して折り返した。

この帰りがしんどくて仕方がなかった。河川敷なので風当たりが強く、緩やかに傾斜があるのかなんなのかわからないが、とにかく進みが重い。

西日の照り返しもきつく、帰りはおおむね西から西北の方向を向いて走ることになるのでこれもつらかった。

しまいには顔面が火照ってきて発汗も少なくなってきてなにかやばいかんじがしてきたので一旦降りて5分くらい深呼吸した。

暑くなってきたとはいえまだ5月上旬であるし日も傾いてきたので、行きの真っ昼間の日差しを浴びていたときより発汗が少なくてもおかしくはなかろうと判断して、とにかくゆっくり走ることにした。

けっこう抑えていたつもりだったけれども、とはいえ気分が乗っていたのだろう、行きのペースはやはり速かったかもしれない。こういうときにサイコンあると定量的な記録が後から参照できてよいんだろうなあ。

いま Moves の記録を眺めてみると二条を出発したのが12:15で、木津に着いたのが15:41だった。また復路は、木津を出たのが16:01で、上野橋に戻ったのが19:05らしかった。

行きはコースを探り探りということもあり、またコンビニに立ち寄ったりもしたので所要時間だけ見ると帰りのほうが早いということになる。

ペース配分がまだまだという反省はあるものの、つらかった帰りの中でコンフォートポジションを意識して多少は維持できたのは成長かなと思う。なにかのきっかけで前傾姿勢は肺が圧迫されて呼吸がしづらくなるので、坂を上るときこそ体を起こしたほうがよい、という記述を読んだのがよかった。

その他の問題として、花粉症らしき症状と虫がある。

走っている時はアドレナリンが出ているのかよくわからないけれども、一旦休憩などで止まるとくしゃみが止まらなくなる。花粉症だと思っていたけれども、単にほこりとか吸ったのかもしれない。

虫は、河川敷とか走る限り避けられない気もするけれど、とにかく不快。小さな羽虫が飛んでいる中を走り抜けると顔に当たるし、たまに口の中に入りもする。

主に寒い時期に喉を守る用らしいけれども、ネックウォーマーが伸びて口元まで覆うものがあるので、あまりにも気になるようだったらそういうのを付けてもいいのかもしれない。とはいえ、これからの時期ではそんなの付けていられない気もする。

照り返しと直射日光がきついのでサングラスは必須だと感じたので買いたい。オークリーとかで度付きのものを作れるらしいので今度見てみたい。

Crumpler のバックパックにカメラと交換用チューブなどもろもろ入れていったけど重かったしかさばった。

とはいえ、カメラは持っていってよかったと思うので悩ましい。こういうときは DSLR の重さとか大きさがネックに感じる。

いろいろあったものの、とはいえ、それらが帳消しになるくらい楽しかった。

八幡から木津に向かって最初の数 km は特に走りやすかった。あまり風が強くなくほとんどフラットなのかスイスイ走れて気持ちよかった。

普段、電車の車窓からしか眺めることのないこのあたりの地域の風景が、だんだん見たことのないものになっていくことに興奮した。

大原に行ったときにも感じたけれども、こういう郊外の雰囲気ってどこも似たようなものなのかもしれない。八幡とか城陽のあたりにも、やはり地元と同じ空気を感じた。

何があるわけでもない、殺風景なようでいて田畑とか住宅とか工場などが、特にセンチメンタルさとか美しさもなく並ぶあの感じ。嫌いじゃないけれども、特別それが大切だとも感じない、よくわからないあの感じ。

嵐山〜八幡〜木津サイクリングロードは、京阪と近鉄と JR 沿線を通っているので非常に眼福であった。併走するというよりも、直交していくというコースだったけれども、とかくよかった。

特に帰り、夕暮れ時の斜光に照らされる京阪の車両たちを八幡で眺めていたときは非常に幸せだった。特に新8000系の黄色と夕暮れ時の光はよく合っていて美しかった。更に木津川橋梁の赤と車両の赤も調和していた。

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ちょうど復路で八幡を出たあたりで太陽が天王山の向こうに沈んで、それからぐっと寒くなった。

だんだん桂川の向こうに沈んでいってマジックアワーを迎えるにつれて、天王山に美しい色の連続が生まれて何度も立ち止まっては溜息をついた。

自分はここをサイクリングロードとして走ったことしかなく、つまり特別な道として見ているけれども、すぐそこには住宅がありそこに住む人たちにとってはこうして天王山の向こうに沈んでいく夕景は日常のものなのかもしれない、と考えると少しうらやましかった。

小さい頃から川沿いの家に住むことに憧れていた。堤防のある川。災害のリスクもあるけれども、それを認識してもなおやはり憧れる。

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自分は考えごとしたり、考えごとをしながらなにかする、ということが好きなのだろうと思っていた。だから歩きながら写真を撮ったり、プログラムを書いたり、楽器を弾いてみたりする。

でも、これら考えごとができる活動というのは、妨害に弱いというのが悩みだった。嫌な気分のときに負けてしまいそうになる。一旦、入り込んでしまえばいいのだけれども、そこに至るまでが長い。

自転車で走り続けるというのは、それらとは違う性質を持っているのではないか、と感じる。自転車である一定以上の速度で走り出すと、走ることとその周辺以外のことが考えられなくなる。

これは走り続けている限り有効らしく、最近ずっと離れられなかった嫌なことは忘れてしまっていたし、帰ってきた今もぼんやりとしている。

自転車に乗ってどこかへ出かける、という娯楽活動に対してこういった表現を用いるのはいかがなものかと思いつつも、自転車に乗るという娯楽は実用を兼ねていて、特に写真を撮るという活動と非常に相性がよい。

絶対に泥沼になってしまうからという強い見立てがあるので MMORPG には手を出してこなかったし手を出すつもりもないけれども、似たような見立てがあった自転車にはやはりというべきか、予想以上にはまってしまっている。

もっと速く手軽に遠くに行きたいなという気持ちは増すばかりだし、これはロードを買ってしまうのも時間の問題だと思う。