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多分自分はスポーツかカルチャーかのどちらかというとカルチャーよりだと思う。

汗を流すこと自体は嫌いではないけど汗を流すことが美徳のような考え方を嫌っている。
でもスポーツという考え方はそういうものではない気がする。
スポーツではなく体育会系?

そういった精神性めいたところはともかく、デザインの価値観、審美眼のようなものについて、スポーツ的と言えるものがあるのではないか。

ジャージとかのデザインに共通して見えてくるものがたぶんそれ。

それがあまり合わない。合わないというのは肌に、というのもそうだし、単に自分の見た目に似合ってないとも思う。

ロードバイク、クロスバイクは競技車、スポーツ車なので、見た目がスポーツ車らしいものが多い。
見た目がスポーツ車らしいというのもコロンブスの卵的ではあるけど。

ロードバイクカタログ2015みたいなカタログを特に意味もなく眺めながら、あんまり琴線に触れるものがないなあ、と考えながら、そもそもロードバイク文化圏と自分のあいだに距離があるのではないか、といったことを考えるに至った。

ralleigh とか fuji ballad R とかが好みで、これはカルチャー感がある。あるいは都会人っぽさ。

今乗っている自転車に大きな不満もないしまだ1年も経っていないので本気で買い替えるつもりはない。

ただ、自分の琴線を少し知ってあんまり競技車カルチャーみたいなのは今のところそんなに適性はなさそう、ということを思った。

実用品と割り切ったつもりで買ったグローブのだささに思ったよりショックを受けてたのかもしれない。
とはいえいわゆるガチ勢っぽい人に聞いてみたら同じようにださいと感じるらしくて、まあそんなものかという気になった。

そんなものか、というのは、それを美としているわけではない、ということ。

とはいえ、週末に一緒に自転車に出かけた仲間ふたりの自転車はどちらもかっこいいなあと思ったので、カタログの写真がよくなかったとか、実物見ると違うとか、そういうこともあるのかもしれない。

思ったよりも自分は見栄張りなのかもしれない。

でも見栄を張るというのともまた違う気がするけど。

ミーハーなのか?

自分の審美眼に適うものを使いたい、手元に置いておきたいという心は少なからず誰にでもある普遍性の高いものだと思っているけれども。

それについて自覚したということなのかも。

機能性よりもデザインにこだわっているものというとなんだろう。

すぐには思いつかない。機能としてデザインをみていることはあるかもしれない。

たとえばカメラのデザイン、佇まいというのは、特に人の多いところで使おうというときに機能として捉えられる。

威圧感を与えないか、存在感があるか、というような。

カメラを使うときは自分が透明になれるほうがよい。

被写体と対峙するのではなくあくまで目をむける。

最近、ライカの価値みたいなのが自分なりにわかってきた。

あれだけシステムが小さくありつつも写りがよいというのはとても大きな価値で、実際競合がほとんどない。

存在感が薄くコンパクトで写りがよさそうというところでは、富士フィルムはいいなと思う。
X-T1 はかっこいい。ちょっと触ってみたらボタンが使いづらくて買わないと決めたけど。

Mac を使っているのも OS X の必要性とか英語配列キーボードがオーダーできるとかそれくらいになっているかも。

そんなにミーハーっぽい趣味がほかになさそうだったし、濡れ衣だったかも。

まあ他人からの目を気にしがちということは自覚しているので、そういうことがあったとしても不思議ではない。