自分を含めた男性はみんな死んでしまえという気持ちはずっとある。

小中の部活が際立って女性社会で、活動は楽しいのにどうしても馴染めないというか、仲間に入れてもらえない、という体験をしたという印象が根強く、女性社会そのものに対する関心というより女性社会核にある集団に参加したい気持ちがあるにも関わらず拒絶されつづけた、みたいな体験が強く残っている。

にも関わらず、女性に憎しみを抱かずに男性に向かったのは、たぶん親しい友達が男の人の悪意に翻弄されて葛藤だとか悲しみだとか孤独だとかそういうものに追い込まれたのを見続けたのが、決定的だったのかもしれない。

男の人の性欲そのものは悪意とは言えないと思うけど、それを巧みに隠してみせて、なにな別のものがあるかのように振る舞う姿は悪意に満ちている、自覚していようとしていまいと。

友達が破滅していこうと、他人のことを理解することができるとか、そういう話の前に、彼女たちは男の悪意によって追いつめられていて、そして自分は男だった、男である。

彼女たちも、自分も、それぞれの属性、役割をつきあわせてみるとどうにもならないということはわかって、なのでただゆっくりと船が沈む様のように破滅していったのだ。


高校を出て、そういう構図が逆転するところもままあると知って、頭の中の上の方ではどちらもよくあると考えるようになったけれど、ふとした瞬間に頭の中の下の方にやってくると、こういうことを思い出して、みんなどうにかなってしまえと心から願う。