28mm

ある人が言っていた「Web 向けにズルをしていた」という言葉、初めて目にしたその時にはよくわからなかったけれど、今、その言葉を頭に置きながら写真を眺めていると、なんとなくその意味がわかる気がする。

彩度とか、階調 (特に暗部) とか、確かにけっこう犠牲にされているかもしれないな、と思う。

でも、そういう非常に強い作為・意図のあるその人の写真が好きだったし、今でも好きである。


振り返って自分の写真を眺めてみると、年を追うごとにその人の作風と似たような変化を遂げている、というよりかなり同調しているな、と思った。

身辺の環境はいろいろ違うんだろうけれども、それでもこんなに似通うのはおもしろい、というよりできすぎているし、単に自分が模倣ないし非常に強く影響を受けていることの現れだと思う。


レンズ交換式カメラを持っているので、レンズをいくつか買ってきたけれど、その選択だってずいぶん影響を受けていると思う。

100mm くらいの落ち着いた、しかし圧縮効果が表れすぎない、人間が自然に感じられるぎりぎりのテレ端、それくらいの画角がとても印象的で、そういう写真をずっと見て素敵だと感じて、感じ続けてきたので、自分の落ち着くと思う画角が 77mm ≒ 116mm なのもまた自然なことなのだろうと思う。


最近は意識的に GXR + A12 28mm を持ち出している。小さいし、画質がいわゆる普通のコンパクトよりよいとはいえ、撮るときの勝手はコンパクトのそれなので、一眼レフを持ち出すときとはまた違った感触をおぼえる。

28mm はどうにも広くて、広すぎると感じる。77mm だとレンズが勝手に整理してくれるけれど、28mm では自分で整理しないといけない。

あるいは漫然な画になりがちだと思う。自分が写真を撮るときには、強くしかし小さな主題を据える場合と、比較的弱めの主題をいくつか置いてそれらを連ねて大きな主題にする場合と、2種類があると思っているのだけれど、特に後者を 28mm でやるのがむずかしい。

28mm の画角にうまく被写体を収めるのがむずかしい。自分は被写体に直接的に作為を加える (動かす、だとか) ことはしない (できない) ので、「配置する」というよりも「収める」という方がより正しいと思うけれど、28mm はむずかしい。

突き詰めれば「28mm の目をまだ持っていない」ということなのだけれど、やはりそれにしてもむずかしい。

「28mm の目」というのは、単に自分の視野を 28mm の画角に変えられる、というだけのものではなくて、28mm に収めるものを発見することのできる能力なのだと思う。

写真を撮るという行為は、美しさを求めているけれど、美しいものとそうでないものを選別するのではなくて、そこにあるものが最も美しく見える光を見つけることなのかもしれない、と思う。

つまり自分は未だ 28mm の美しさを知らない、と言い換えられるのかもしれない。