この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

さほど苦しくもなく、かといって楽しくもなく、忙殺されているわけではないけれども、まとまった時間があるわけでもなく。

経済的に困窮しているわけでもなく、満足しきっているわけでもなく。

大きく揺らぐことはないけれど、さしたる刺激もない。

言葉にすればするほどつまらない生活に甘んじている。


困っているわけじゃあない。穏やかでいられるならそれでいいとも思う。

でも別におれが穏やかでいることで他の誰かが幸せになるのか?


そこらへんを歩いている誰かが幸せであるとかそうでないとかには興味はないけれど、生まれ落ちて、空気を吸って吐いて生きてきて、このままなんとなく「どちらかといえば幸せであるかもしれない」という状態で死んだとして、だから何だというのだろう。

そんな風に生きて死ぬくらいならば、「こんなことに何ひとつ意味はなかった」と言い切って死ぬほうがましとさえ思える。


自分はずっと「生涯において感じられる幸せと不幸の総量は平等である」と考えてきた。いつ分配されるかは定かではないが、生まれてから死ぬまでのスパンで考えればみな同じに収束するのではないか。

ある人から見て特別に不幸そうに見える人は、観測する人のバイアスや価値観に左右されるし、そうした他人から見た「幸せかどうか」という判断でものごとを考えてもまったく合理的でないと感じる。

自分が満たされるのも満たされぬのもすべて決まっているのだと考えると「幸せになる」といった考え方が失われる。ある意味では生まれた瞬間から完全に幸福であり不幸でもある。