この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

地元 (北海道、札幌ではない) にはここ数年に出店されるまで自分が満足して足を運びたいと思える書店がひとつもなかった。ひとつも。

一番、自分が充実していると感じたのは高校の横にある大型電器店の中に入ったまあまあ広いフロアをもつ書店だった。近くてソフトウェア技術に関する本とアニメのムックが充実していた。

しかしそこでもオライリーの本はほとんど置いてなかったし、今思えばけっこう怪しい、あるいはちゃんとしているけれど古い本ばかりだった。古い本のほうは陳腐化してしまう話題を扱ったものばかりだったので、やっぱりどうにも頼り切れないところがあった。


大阪に引っ越してきてもやっぱり同じようなかんじで、ただ梅田に出ればジュンク堂とか大きくて充実した書店がたくさんあるというのは嬉しかった。


京都に引っ越してきてから徒歩圏内にたくさん品揃えのよい書店があって、それでやっと書店に足を運ぶ意義みたいなのがわかった気がする。

しかし、本 (に限らないけれど) を吟味するのがめんどうなので、だいたい人に薦められたものを買う、ということが多い。

書店を訪れてたくさんの本と面してもそれらすべてを眺めて吟味する余裕などなくて、書店ではない別のなにかによって推薦されたものから選んで買って読む。


あと Kindle の存在も重要になってる。Kindle で読書することが快適で仕方がない、というわけではないけれど、読書することはできる。

Kindle は空間効率がいいし、買ってからすぐに読める。今日は何を読もうか、と考えてかばんの中に放り込む必要はない。

持ってこなかった本は出先では絶対に読めない。これは Kindle も紙の本も同じだけど、Kindle は空間効率がよくて持ち出すのがめんどうではないから気軽に持ち出しやすいし、仕組みとして「忘れ物」をすることが少ない。

ただ、これは自分があまり大量の本を読まないからだと思う。たくさん本を読むと Kindle デバイス (Android とか iPhone とかも含む) にすべて入りきらないから選ぶ必要があって、そうすると「忘れ物」の危険は発生する。


紙の本は空間を必要とするけれど、その空間を占有しつづけるコストに比べると遥かに高く感じる。厚くて重くなればなるほど高くなるのも質が悪い。

読んだら気に入ったやつ以外は売る、という運用をしている人もいるらしいけれど、そんなばからしいこともないと思う。いつでもあとから内容を読み返せるようにするために買って手元に置いておきたいのに、空間のために手放すなんて意味がわからない。


紙の本や書店に対していろいろ思うところはあって、だんだん紙の本の話と書店の話がごっちゃになってきた。

ひとつ言えるのはリアル書店には「自分が求めている本がないかもしれない」という不信感が今も根強くあるということ。わざわざ足を運んで時間と労力をかける価値がないと今でも思っている。