結婚

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

小学生のころからの付き合いになる友人が京都に旅行にきているとのことで昼を一緒にいただいた。

以前、恋人ができたという話は聞いていて、今回も連れがひとりいると聞いていたから「ああ、恋人と来るのだなあ」ということは容易に想像できたし、実際にそのような心持ちでいた。

実際のところ、恋人と一緒に旅行に来ているという見当は、半分は正解で半分は間違いであった。

半分正解であるというのは、既にその人は恋人ではなくなっていた。妻、伴侶、奥さん、いろいろ呼び方はあるだろうが、つまり二人は結婚していた。

交際関係にあるいい年齢の男女が生活を共にするために結婚するだなんてなんら珍しい話ではないと思うが、しかし、まさか、みたいな気持ちがどこかであったと思う。大変驚いた。

仲良さそうであったし、他人事として見て特別に不安そうなこともなかった。祝福する気持ちもある。けれど、いかんせん驚いた。いまも驚いている。

友人と自分は同い年で、つまり現在、満年齢で22歳かあるいは23歳である。勝手な想像としてあと3年くらいすれば、つまり25歳くらいになれば知人友人が結婚する話も増えてくるだろうお呑気に考えていた。それが大変に早まったので驚いたし、そんなの聞いていない、という気分。「そんなの聞いていない」なんて、それこそ知ったことか、というかんじだろうけれど。

別に友人が結婚しないだろうとか、結婚できないだろう、なんて考えていたわけではない。そもそも友人と結婚という概念を関連付けて考えたことがなかった。

たぶん「恋人ができた」と聞いたときも、これからしばらくは恋人同士のままでいるのだろう、結婚とか、そういう生活を考えることなんてないのだろう、と想像していた、のかもしれない。なんて偏狭なものの見方であろう、といまでこそ思えるけれど。

人間の生活はそういうものなのかもしれない。いつのまにか生まれていて、いつのまにか死ぬ。生活における区切りが見えるのはその日常を生きている者たちだけであって、少し離れた周りからは無段階に、滑らかに、いつのまにか生きているように見えるのかもしれない。

自分も、恋人ができてから日常に細かい節目が打たれている感覚があることに気がつく。何かあるたびに変わっている、変えられていく感覚がある。