この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

周りの人はモチベーションに満ちていて、日々いろんな発見をしたり、なにか作ったりしている。

そういうのに触発されて自分もなにかしようと思っていたこともあった気がするけど、最近はすごいなあ、と思うばかりでなにもしていなくて、なにもしないことだけ知っているので劣等感を感じて、でも劣等感を感じるだけでなにも行動していない、という状態がずっと続いている。

こういう状態はよくないと思いつつも、どうしたらいいのかわからない。気がつくと疲れている。どうして疲れるのかよくわかっていない。疲れていて体調もよくなくて、よい状態ではないけど改善しようというモチベーションが湧かない。

自分は向上心を失いつつある学も力もないおもしろいことも考えられない、何ら価値を生み出せない人間になりつつあるのかもしれないなあ、ということを考えはじめている。自分の手から出ていくこれらもいつかは誰かの頭痛の種になるのかもしれないと思うと動かす手も鈍る。どうにかしなければ、と思うけど、思うけど…………。

ただ、最初からこうだったわけではなくて、少し前の自分はこういう風ではなかった。こういうことがやりたいんだな、っていう自分の位置付けというか目標みたいなのが見えつつあったんだけど、いろいろ変わってしまっていちからやり直しみたいになってしまっている。

少しずつほぐしていかなければいけないと思うし、そうしないと解決できないものだと思うけど、なんというかそれに立ち向かう気持ちみたいなのがだんだん擦り減ってきている。

どうにか少しずつ充電しているけれど消費に間に合っていないかんじがする。

対処療法みたいなものはいくらでも思い付く (それこそ逃げ出してしまえばいいのだ) けど、根治したいし、そうしたほうがいいと思っている、いるけれど……。

そういえば今年明けてからこういうかんじだった。持ち直したと思っていたけどそうでもない。

考えるべき問題が解決したわけではないが、なにかがよくなる可能性を考えられるようになった。

moment(s)

このときはポジティブな気持ちになれたけれど、よくよく考えてみると問題は解決されていなかった。たぶん、よくなる可能性を考えられなくなってしまっているのだと思う。だんだんわかってきた。いまやっていることがよい結果をもたらす、ということが想像できないのだ。徒労に終わるのではないか、とか。

もっとよいことを考えたい。けど、ちらつくのは未来の誰かが悩んだりする姿ばかりで、どうすればもっと穏やかな心持ちで、よりよいものについて考えることができるのだろうか。それとも、本当はよりよいものなんて作れないのだろうか。わからない。わからないけれど、危険な予感がする。考えてはならないような気がする。考えてはならないという予感は、つまり考えたくないということで、本当は考えなければいけないことなのかもしれない。逃げているのかもしれない。なにから?