この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

いまやっていることは、やりたくないわけではない。やりたくなかったらやらない。

けど、やろうとすると細かい棘がたくさん刺さったり、小さな段差でよくつまずく。テンポよくとりかかれることはなくて、だいたい回り道をしたり転んだりしている。

好きか嫌いかでいうとどちらでもない。掃除に近いことをやっていると思うけれど、きれい好きというわけではなくて、汚いものがいやなだけ。似ているようで違う。目の前に汚いものがあるから汚いものが目に入らないように、ときれいにしようとするけれど、目の前になにもないときにわざわざ汚いものを探してそれをきれいにしたい、という気持ちはない。

疲れる。自分のペースが保てない、ということもあるのだけれども、フラストレーションは募る一方でそれを発散させようとすると自分に跳ね返ってくるから、というのも大きい。手がけていることについて考えるだけで二倍の速さで疲れる。

やりたくないかというと、そうではない。一度目にしてしまったこんなものを放置できるわけはない。

やりたいかというと、そうではない。自分がよりよくしたいものは、これではない、とはっきり言える。

我慢したいわけではない。逃げたいわけではない。いま、自分が逃げても他の誰かが同じような思いをするだけだ。自分が認知した問題をそのまま放置するわけにはいかない。けれど、自分が見た問題というのは、根腐れを起こしている大樹をどうするか、という問題であるから、折れないように少しずつ治していくか、これはもうだめだと診断して殺してしまってまた樹を植えるか、という洗濯が考えられる、考えられるけれど現実味はなくて、いまと同じくらいの大きさに育つには時間がかかるから、どのみち育つまでいま生きている樹も手入れしなければいけなくて二度手間になってしまう。でもサンクコストのようである気もする。

とにかく答えは出なくて、答えは出ないから具体的な行動に繋げられなくて、毎日どんどん疲れていく、という状態になっている。どうにかしたいと思っているけれど、ふつうに生活しているだけで疲れるので思考が鈍ってきてなにも判断できなくなる。

いま気付いたけれど、とてもよくない状態だ。今はほとんどすり減ってしまったけれど、前はちゃんとモチベーションがあったので、取り戻さなければいけない。