交換日記

小学校5年生のときに初めて同じクラスになったその子は自分より背が高かった。その当時の自分の身長は140cmくらいだったはずなので、150cmか、それ以上あったはず。

自分より背丈があることや普段の口数が少ないことなどから、目に付くことはあっても話しかけようとはなかなか思わなかった。当時の自分はいまよりずっと社交的であったので、これは珍しいことといえた。

ふとしたきっかけでその子が絵を描くことが好きであることを知ってから興味が増して話す機会も増えた。普段はおとなしいというより何を考えているかわからない風であるのに、話しているとたまに子どものようにムキになったりするところがおもしろいなあ、と思っていた。そのときの自分たちはまさしく子どもではあったのだけれど。

あるとき、その子が友人と交換日記をしていることを知って、思わず自分もしたい、と思って誘って始めた。

狭い世界で生きている小学生でましてや同じクラスであったけれども不思議と交換日記は活発にやりとりされた。気恥ずかしさがあって、学校で交換日記のやりとりをするときは隠れてこそこそと行っていた。

日記に書かれているその子の文字を目にしたときは初めて会ったような気がした。普段の、どこか焦点がずれたような視線とはだいぶ印象が変わり、とめはねがしっかりしてシャープな線で構成されていた。意外と硬い字を書くのだな、と思いつつも、かってに「彼女らしい」と思ったりもした。お互いが読んでいることは知っているけれど、どこかよそよそしいような、ごちるような文体が続くのがおもしろくてのめりこんでいった。

学年が上がっても相変わらず交換日記は続いて、お互いに考えていることを綴っていったり、あるいは話したりして、それなりに知っているはずなのに底が見えないかんじが不思議で仕方がなくて、その子がつけているという交換日記そのものに興味がある気がして話を持ち掛けたと思っていたけれど、そうではなくて、その子と話したかったからいっしょに交換日記をしよう、と声をかけたのかもしれないな、と自覚するようになった。

それから、交換日記になにを書いたらいいのかわからなくなった。なにを書いても、自分の気持ちが漏れ伝わってしまいそうな気がしたから。知られてしまうともう交換日記が終わってしまう気がしてこわかった。あるいは自分の知りたいことが日記に書かれてしまうのではないか、とか。つまり、その子が、自分をどう思っているか。

友人から、「告白しちゃいなよ」と言われてますますうろたえた。告白してどうするんだ、好きって知られちゃうよ、付き合ってっていうの、知られたくないのかな、付き合うってなに、好きじゃないって言われたらどうしよう、好きなのかな、好きでいてほしい、好きじゃなかったら、どうしよう。

どうしたらいいかわからなくて、でも、もしもその子が自分を好きだったら、好きになったら、どういうことを話すんだろう、どういうことを話してくれるんだろう、どういう顔をするようになるんだろう、とか、いろいろ考えてしまって、気になってしまって、いい、とか、わるい、とかではなくなってしまったから、好意を伝えた。伝えて、口にして、口にしてしまって初めて、その子のことが好きなんだ、と気付いた、気付いてしまった。

学校の帰り際、言い逃げるようにして気持ちを伝えて、じゃあ、と言って自分だけ曲がり角を折れて帰路についた。これでもうおしまいだ、と思うと、つらくて悲しくて寂しくて涙があふれて走って帰った。

それから交換日記はしばらくその子で止まる。

手紙をもらった。「帰って、家で読んで」と告げられる。

それには、あの後から初めてとなるその子の言葉が書かれていた。想像していたよりもたくさんの文が書かれていたけれど、「ありがとう」という言葉は強く印象に残った。

やがて交換日記が再び交わされるようになったころには、もう小学校を卒業する頃合いだった。

中学校はそのまま持ち上がりだったので、卒業するけど交換日記にはあまり関係ないね、なんて話もした。

中学校ではクラスが別になった。同じ階の端と端で、まだまだ学校が世界のすべてと言ってもいい頃だったし、二年間ずっと同じクラスだったのでずいぶんと離れてしまった。

お互いに部活に入って、ますます疎遠になったころ、その子が転校する、という噂を聞いた。転勤族であることは知っていたけれど、まだまだ交換日記は続くと思っていたし、続けたいと思っていたから信じ難かった。離れたクラスに無限の距離を感じてしまっているうちにその子は転校してしまった。

自分の手元に残った三冊の交換日記は、交換相手を失ってしまってなし崩しで役目を終えた。

寂しくなった書く手を慰めるようにやがてインターネットで日記をつけるようになった。

連絡先を聞くこともできず、餞別にと交換日記を渡すようなこともできずに離別したその子の文字も声もまだ覚えている。日記を通して伝えきれなかった、言いたかったこと、聞きたかったことも、まだ覚えている。

十年前の五月の初め、慌しく去っていったその子のことについて、棚卸してよい頃合いだろう、と考えたのでここに記録しておく。いままで忘れぬようにと強く繋ぎとめていたものではあるけれど、忘れゆくかもしれない自分をそろそろ許せそうな気がしてきた。

いまどこで何をしているかもわからないし、生きているかどうかさえわからないけれど、もし生きているのならば、日常の言葉をしたためることを忘れていないでほしい、と願う。