大学でなぜ心理学科に進んだかというと、まずなにを作るにせよソフトウェアを手段とするだろうが、しかし自分がいまからソフトウェア工学を専門に勉強してみてもいつまでも背中を追い続けるかたちになるだろう、という意識があったから。

他人から影響を受けやすいので、ずっと同じ道を進んでみても自分にはあまりよい影響はなさそう、というのもある。集中していないほうがよいともいえる。とにかく意識をかき乱されていたい。

中学生のころからこういうことを考えていて、自分はなにかひとつを専門に極めるというようなやりかたはできないだろう、できたとしても半端者でしかないだろう、という諦めに近い気持ちがあったので、常に場をかき乱すことだけを考えていた。


大学でやりたかったこと、いままでうまく言葉にできないでいたけれど、最近、「こういうことだったのかもなあ」とわりと形になりつつあるので残してみる。

使う人が道具に期待するふるまいというのは、文化や出自などで微妙に異なってきたりする。なので、道具とかサービスを設計するときに対象となる人物像を考えることがある。人物像から認知の偏りなどをさらに考慮する。

マーケティングとかにも関わる話ではあるのだけれど、いまいち属人性の高いかんじになりがちなこういったプロファイリングをもっと広く行われるようにしたい。

たとえば、年齢とサービスに支払う対価は反比例する、とか属性と行動特性の関連性をうまく可視化できないか、ということを考えていた。


やっぱりうまく書けなかった。大学4年間をかけて自分が処理できるまでに分解して理解するのだろうなあ、という気持ちでいたけれど、あそこに4年間いることは耐えがたかった。

とても惜しいな、という気持ちはあるけれど、しかしうまくやれる未来が想像できなかったのでしかたがない。