川を眺める

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

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自分の知るところによれば、ここ淀のあたりは主要な河川、すなわち宇治川、桂川が合流することから古来より商業の要衝として、または (現在の) 奈良や大阪より京都へ向かう際の水陸の交通の要衝でもあったという。

川と関わりの深いこの地域に惹かれ、またいつも京阪電車の車窓から眺めていて随一の美しさを誇る (と考えている) 木津川橋梁からの眺めの中にある木津川と宇治川のそばをぜひともこの足で歩いてみたいと思っていたので実際に歩いてみることにした。

木津川橋梁は上り電車の左手には大阪へと流れていく淀川が、右手にはやがてその淀川となる木津川と宇治川が、そして前方には天王山が視界に入ってくるとても美しい場所だ。

美しいだけではなく、京阪本線鳥羽街道に沿うように敷かれたことから歴史的にも地理的にも重要であることに違いない。

まずは祇園四条から特急で丹波橋まで。丹波橋から準急で淀まで出かける。

淀から府道126号線を歩いて淀大橋を目指す。日曜日で競馬が開催されているためか、通りのあちこちに交通整理の警備員が立って交通誘導をしていた。淀大橋の近くまで交差点ごとにずっと数人が立っているのでずいぶん物々しかった。

淀大橋は距離は長いものの片側一車線でお世辞にも車捌けがよさそうな印象は薄かった。南詰の風景は去年の夏に摂津市から守口市に自転車で出かけたときに見た風景と似ていて、淀川に架かっている橋のふひ もとってこういうかんじなのかなあ、とぼんやり考えた。

淀大橋南詰から西方に折れて堤防を歩いていく。片側一車線の道路になっているのだけれど歩道の余裕がなく、また切り立っているので車が来るたびに車にぶつからないか、車を避けようとして落ちないかびくびくしてばかりいた。

周辺は京滋バイパス以外に特に目立つものはなく、宇治川から離れているため実に殺風景ではあった。ただ、その殺風景なほどに広い景色をなかなか大阪や京都で目にしがたいことも事実でよい目の保養になった。

京阪本線と交差する踏み切りでカントのきついカーブを軋ませながら高速で通過していく京阪の車両をいくつか眺めながら八幡市のほうへと向かっていった。

あいにくの曇天できれいな夕暮れ時とはいかなかったが、冬を感じさせる鈍い斜陽もまた殺風景な川辺の風景に似合っていて印象的だった。

水と人は無関係ではいられなくて、古来から人間の営みは特に河川に左右されてきた。現代でも河川の存在感はまだまだ大きくて、どれだけ図々しい振る舞いができるようになった人間たちでさえ河川の前にはただの人間であることを自覚させられる。川のある街は、人間と川、人間と自然の正しい距離のとりかたの指標が見えるような気がする。

そういう街を歩いて川を眺めながら、自分は何ができないのかといったことに思いを馳せて驕りがちな心をなだめるのが習慣となっている。