この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

大学を中退して、フリーターとして仕事しつつ正社員として就職する先を探している。

やめることを決めたときは不安で仕方なかった。
しかし、よくよく考えてみればこれ以上良くなりようはなかった。
多くの大学生が行うような就職活動、少なくとも1年間通っていた大学の人たちがするような就職活動について、それらをするつもりはまったくなかった。
要するに就職するためだけに行われる、なにか手段のためだけに行われる手段というものがとても嫌いで、自分の中にあるものだけを用いて生活したいという欲がある。

自分の中だけにあるものというのはつまり好奇心とかであり、そういったものに適わないものに手を出すほど時間や力は、自分にはない。
そうなると働きたい、と思える場所というのは限られてくる。実際、本腰を入れて「就職活動」をするにあたって、志望はまったく変わっていない。
Web業界といってもざっくばらんとしているけど、志望先の共通項といったらそう表現するしかない。

一方で大学では心理学をやろうとずっと前から決めており、それは自分の中で将来的にWeb業界に進む上で糧になると踏んでいたものの、心理学学士という資格はキャリアパスたりえないことは覚悟していたから、「就職活動」という対外的活動においてそれはなんら意味をなさないものとして計算していた。
だから、大学を出ないことで得られなかった対外的アピールポイントというのは大卒という資格のみだ。
しかし、1年ほど大学に通って、自分の中で大学に対する認識が深まった結果、大学という場所を卒業できたという証明は1tのバーベルを持ち上げることができた、というようなものであるという結論に至った。
1tのバーベルを持ち上げることができることで価値があると認められる世界ももちろんあるだろうが、自分は1tのバーベルを持ち上げたくない。だから、大学をやめた。

しかし、労働というものもいやだ。死なないために、生活を繋げるためになにかをする、というだけでまったく気が乗らない。さっさと死んでよいとおもう。
本当はコードを書くよりギターを弾いて、ピアノを弾いていたい。自分は情報工学や数学といった礎がなく、頭の回転がさほど早いほうではない。単に他の人がなにか他のことに費やしていたぶんの時間を、たまたまコンピュータやコードといったトピックについてのインプット/アウトプットに費していた、というだけだ。自分と同じぶんだけのインプット/アウトプットをこなせば、多くの人がいまの自分と同じくらいのパフォーマンスを発揮するであろうし、自分以上の力を発揮する人だって少なくないだろう。I/Oに対してパフォーマンス性能がよい人間では、けしてない。
それでもコードを書くのは、自分よりプログラムに堪能な人たちに気付いてもらえない欲求があるからだ。
もちろんコードを書くというのは楽しくもあるのだけれど、常にもっとうまくやっている人間がいるだろう、あるいはもっとうまくやれる人間がいるだろう、という劣等感がついてまわる。

自分の実力を過信しているわけでもないし、うまくやっていける確信などないけれど、しかし自分という人間が野垂れ死ぬのをよしとしない企業が拾い餌付けしてやり、その餌が美味しかったら身を預けてもよいか、くらいの気持ちでいる。
勝手に死んでいろ、と言われるのであれば、仰せのとおりさっさと死ぬか、という気持ちである。