押見修造さん (『惡の華』の作者) があとがきで「思春期は第二次性徴などで否が応でも始まりに気づかされるが明確な終わりはやってこない」「自分の中で終わらせる必要がある」といったことを言っていて、グサッと刺さった。

思春期のメンタリティ、高校のころに燃えていた、よくわからないものに対する憎悪とか、よくわからないものに対する性欲が、去年あたりからずるずる再燃しているかんじがする。自分の中で「思春期」は終わったものだとおもっていたのでどういうことだろう、とおもっていたのだけれど、なるほど、終わるべくして終わるものではなく、自分の中で幕引きが必要なのか。

高校を卒業したあたりから人生における節目というものが到来することは少なそう。版管理システムでタグを打つように自らが「ここ」としていくものなんだとおもう、元来は。

なにもかも向こうからやってくる時間は少なく、しかも過ぎ去った後なのだ、ということを自覚しなければならない。