この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

人の役に立ちたくないけど、人を楽しませたい気持ちはずっとある。

「べんりであること・役に立つこと」と「楽しいこと」はかならずしも一致しないんじゃないだろうか。

「今やらなきゃいけないことを適切に提案する」機能はべんりだし役に立ちそうだけど、やらなきゃいけないことをやる気持ちがいつでも湧くわけじゃない。それよりずっとゲラゲラ笑っていられるものを見て笑っているけど、やらなきゃいけないことが何なのかわからないけど、とにかく楽しい気持ちにはなれる。

人生において「やらなきゃいけないこと」をやる時間というのは決まっていて、それをやることは決まっている、っていう運命論みたいな考え方を持っている。
今やらなくてもいつか未来の自分がやる。だから今やっても明日やっても同じ。もしやらなくて済む未来があるのならば、それはもともとやらなくてよかったことなのだとおもう。
今、やらないとうまく行かないことがあったとして、それは「やらなければいけないこと」ではなくて「未来を変えたい自分が未来を変えるためにできること」なんだとおもう。やらなくていいんだけど、やりたいという気持ちが強すぎて、「やりたい」って言い聞かせている。

たとえば食事は次にいつ食べるかわからないけど、いつか食べないと死んでしまって未来が絶たれるので「やらなければいけないこと」だけど、同時に「餓死して死ぬ未来」を変えるために、適切にやるべき時を見計らうので「未来を変えたい自分が未来を変えるためにできること」でもある。

どうしても人類に必要なことはきっと他の (たぶん優秀な) 人たちが見つけて実現してくれるだろうし、それより自分は他人が「やらなければいけないこと」に押されて優先度が下げられがちなことばかりやって生きていきたい。

社会も人間も頭が悪くて狂ってばかりいるので、「楽しい気分になること」の重要性を忘れがちである。おれは狂ってないし頭がいいので、楽しい気分になることばかりする。