この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

誰に好意を抱いているとか、誰のことが心配だとか、誰に幸せになってほしいとか、そういうの、当人に伝える必要ってないよなあ。伝えたければ伝えてもいいだろうけど、でもそれって必ずしも言うべきことではないよなあ。

むしろそういうのが当人に知られるとまずいケースって多いんじゃないか、とさえおもえる。自分が誰かから関心を寄せられている、という自覚があると窮屈に感じる人もいる。

そういう関心を誰かに向けていることが憚られることもある。後ろめたさと言うべきか。

たまたまある人に並々ならぬ関心を寄せている人と諜る機会があって、その人に対する関心の高さが共有されたままその人について諜る体験がいままでになくて、とてもおもしろかった。お酒が入っていたけど (少なくとも自分は) 酔っ払っておらず限りなくシラフで、にも関わらずとても恥ずかしい表現が次々と口をついて出た。でも、それが許されるだろうという感覚があった。つまり、恥ずかしい表現だけど的を射ていて、しかも共有されうるだろうという確信。

でも、それを当人には伝えられないし、伝えるつもりもない。言ってどうするのか。自分さえ満足させられないようなことは、つまり自己満足にすらなりえないことを言うのは、ただの暴言だし、暴言だとおもうのなら言わないほうがましだろうとおもう。

心配していること、愛情を抱いていることは、みな美しいことで正しいことで、だから公開しても恥ずかしくない、問題ない (だからそれらを公開せよ) というのは乱暴な考え方だとおもうし、秘匿という美徳があることを共有したい。(韻踏んでうまいこと言った感 (どや