12月26日

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

だらけた調子で荷物をまとめたりぞんざいに掃除していたりシャワーを浴びたりしていたら電車の時間になってしまって慌てて家を出て阪急に乗った。早朝の電車にはあまり乗ったことがなくて、西側 (進行方向むかって左側) の席に座ったら東の空が明けていくのが見えて、それがとてもきれいで清々しい気持ちになれた。

烏丸で地下鉄に乗り換えて京都駅へ。京都駅はやっぱり広くてJRの真骨頂を見せられるかんじがする。他の駅は私鉄と変わらなかったりするけど、さすがに都道府県のターミナルともなると威厳が違う。特に新幹線乗り場は中でもうひとつ改札があって、特別ってかんじがする。新幹線乗り場のホームも綺麗で明るいし、やっぱり特別なかんじがする。

米原あたりで雪降りまくっていて15分ほど遅れてる、ってアナウンスがあって、そんなに? とおもったけど、ほんとうに降ってた。米原のあたりだけ異様に雪が降っていて別世界だった。

東京に着いて待ち合わせしていた人と合流して銀座のアップルストアや新宿御苑にいった。でも新宿御苑は月曜日が定休日で入れなかった、残念。というか入場料とられるし、足元見てるな、ってかんじがする。

飯田橋で待ち合わせふたつめがあって合流、食事したり話したり。よい距離感で心地よかった、またちょくちょく会いたい、けど会うたびに距離感がおかしくなりそうだし、もう会わなくてもいいのかもなあ。会いたいけど。

ごちゃごちゃ感がよかったのだ。集まった人間は知り合ったものの仲良くなる必要はなくて、でもなんだかなしくずし的に親しくなったかんじで、そういう巡り合わせみたいなものに導かれた関係というのは気負いがとても少なくて身軽でいい。学校とかを基点にした関係は、どうも「仲良くならねば」みたいな強迫があって居心地が悪い。もっと疎結合な人間関係がいい。「離れられないからそこにいる」のではなくて「離れられるけど、そこにいたいからいる」ほうが価値がある。

いくらTwitterとかで知っている面子であるとはいえ、「おれが東京にいくんだからちょっと面貸せや」みたいな調子で声をかけることができて、しかも本当に集まってもらえるとはおもってなかったし、「自分、どうにかならんのか」というところばかりではなかった、よい発見。

ここまでずいぶん幸せな気持ちだったぶん、フェリーで過ごした半日は地獄だった。

トラックの運転手たちが車と一緒に利用していて、その人たちが乗船前から既に酒を引っ掛けていて騒いでおり、元々雑魚寝するプランだったから期待していなかったものの、部屋は酒臭いしうるさいしひどかった。けっきょくロビーでたまに電波が入るケータイでフィード読んだり本読んだりうとうとしながら過ごした。