川で飲酒した

七輪で暖をとっていたら市民の生活を守り隊みたいな人たち (国家公務員らしい) がきて「消して」といった。「なんでここ (橋の下) でこんなこと (七輪で暖をとりながら飲酒) するの」「ここでやらないでも山でやればいいのではないか」とか言われた。大きなお世話だし、むしろ山で火を扱うのを勧めるようなことを言うのはどうかとおもう。そういうことを言うと「万一のことを慮て水辺でやっています」とか反論されたら困るのではないか。

そのあとどこかの大学のイベントサークルもクリスマスパーティをやっていて、冬の鴨川のイベントスポットとしての人気の高さに驚いた。北海道だと冬の川辺にいる人は大抵、自殺しようとしている人だからなおのこと。

「会ってみたい」って言っていた人たちが鴨川でどんどん逢瀬していておもしろかった。人間関係のグラフがまた一段とこじれていく様をリアルタイムに目撃できるのはとても有益。

小学生のころはファミレスにいったら必ずジュースを混ぜていた。美味しい組み合わせを考えながら作ることもあれば、明らかに不味そうな組み合わせだけどもしかしたら美味しいかもしれない、という好奇心で作ることもあった。人間も、この人とこの人が会ったらおもしろいだろうから会わせてみたり、反りが合わなさそうだけど、反りが合うかもしれないから会わせてみたりしたい。

他にもなんとなく漠然と共有されていたような話題をはっきりと口に出して、明白に共有するといったこともあった。そういう「なんとなく漠然と」というのも、それはそれで趣があるけど、しかしコミュニケーションにおいては「どこまでお互いにわかっているのか」という疑問がひっかかったままでいるので、あまり気持ちよくない。それが解消されたというのはよいことだとおもう。