この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

「何者」にもなりたくないなあ、とおもう。

自分の場合、いくつか意識しているペルソナがあって、それはコンピュータ技術フリークスであったり、楽器の演奏者であったり、写真を撮る人であったり。

たぶん自分はこれらのうちのどれにもなれないし、またこの先、新たに被るペルソナも同じだろうとおもう。

漠然と自分はそういう「何者」にはなれないんだなあ、という絶望というか諦観というか閉塞感というか、そういうのを高校生のころに感じて、今もわだかまっている。いまは「何者にもなれない自分」というのをアイデンティティというか生き方の指針のようにしている節はある。

「神になろう」とおもって実際に神になったら、それはそれでおもしろいけど、でも人生を投げ遣りに進めていたら神になっていた、みたいなほうがもっとおもしろい気がするし、「神になろう」とおもって実際に神になって、その先もおもしろいまま生きていけるかというとちょっとわからないし、勝手に神になったほうがなんとなく先細りを感じさせないし、やっぱりおもしろいかんじがする。

別にいまの自分に特段の自信があるわけでもないし、世界をサバイバルしていけると信じているわけでもない。

けど、踊りたいから踊っているのに、何も食べないと死んでしまうだろうからとりあえずやめてなにか食べよう、みたいなのはダサいとおもう。踊っていたいなら好きなだけ踊ればいいとおもうし、それよりなにか食べたいとおもうまでなにも食べなくていいし、踊りたいだけ踊っていたら必要な栄養が摂れなくて死んでしまった、みたいなのを怖がらなくていいとおもう。

なんとなく周りに負けそうだから、何者かになってみよう、みたいなのは不純だし、そういう漠然とした不安に場当たり的に対処するようではどのみちサバイバルスキル不足で死んでしまうだろうとおもう。

こういう風になってこういう風に生きていく、みたいなのを決めてそれを通そうとするのもいいけど、川に身を投げて溺れて死にそうになったり石とかにぶつかってすごく痛かったけど、海に出たらなんか彫刻みたいになってた、っていうことがあったら、気軽な気持ちで川に身を投げる人がたくさんでてきてよいとおもう。