人間、いつ死ぬかわからないといっても、大抵の人間は80歳くらいを寿命に見積もっていたり、あるいはいくらかは長期的に人生を見渡していて、明日死ぬとか今日死ぬとか、そういう自分の終わり方を想像できないものだとおもう。

そうなってしまっている人たちにとって、生きることは現実ですらないんだとおもう。生きているという前提が視界のずっと後方にある。その前提に立たない視覚を獲ていない。でも死ぬことは生きていることという連続の上に必ず乗るべきもので、これだけはどうしようもなく理解せざるをえないし、これだけしか理解できないとおもう。つまり、死ぬことが一番能動的に自分という生命活動を輝かせるものなんじゃないか、とか。

大切な人と特別な時間を過ごそうとおもっても、けっきょく視界の外にある「自分は生きている」という事実に縛られるからなにも特別にはなりえなくて、生きているかぎりにおいてするあらゆる行為はなんら特別でなく意味もない気がする。そういう無為な過ごし方もよいとおもうけど、特別な人とどれだけ特別な時間を過ごせるか、あるいはどれだけ過ごしたいか、っていうのを考えたときにできること・できる時間というのが限られていることに気付けるかどうか。

性交渉や交友関係に対して干渉・管理できる特権階級に憧れるように、生存欲求やあるいは生命活動そのものに干渉できる権限に憧れるし、むしろそんな権限がないのなら特別だとは言えないし言いたくない。

性別に関係なく、華奢というかふわふわして浮世離れしたような人が好きで、そういう人をそっと現実に繋ぎ止めて抱き留めながら加減を間違えてそのまま首の骨を折って終わらせたい。あるいはそうされて終わりたい。