この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

なんでもかんでも他人に話したくて聞いてもらいたいという気持ちが暴走して、ありったけ喋ったあとに賢者タイムがくる。

「ああ、喋ってしまった、また、他人に……」みたいな。べつに隠し事を喋った、とかではなくて、「言いたいこと」を言ってしまった、という。言いたいことを言い過ぎである。

べつになにか言ってほしいのではなくて、ただ、人間が傾聴していた、という既成事実がほしいのであって。

誰かが答えようのないことを尋ねる(風に言う)のはほんとうに迷惑な行為だとおもうし、できるだけそういった迷惑はかけたくないのだけど、それをしないと気持ちよくなれない、すっきりしない。

中学生のころはインターネットの距離感というか、うまい具合にぼやけている視界が楽園のようにおもえて、インターネットに生きてインターネットで死のう、とおもっていたくらいだけど、自分や他人、環境のいろいろな変化で距離感が変わってしまった。

2chは人間の輪郭が曖昧すぎるし、Twitterなんかは輪郭がはっきりしすぎている。

けっきょく、日記に落ち着く。誰かがいるけど、それが誰なのかはわからない。知ろうとおもえば知ることもできるが、あくまで選択肢としてとどまっている。おれは意味不明なことばかり、姿の見えない具体性の欠けた誰かのことを考えながら、書く。そういうのがいい。