夢を記録することについて

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

思い立ってから、夢を記録するようにしているんだけど、どれも未だに覚えている。細かいディティールは劣化しているかもしれないけど、そもそも、書いた時点で劣化しているので、記録にあるがまま覚えている、といえるかもしれない。

なんとなく、共通してみえるものがあったりするんだけど、でも見えなかったりもする。前日にあったことも記録しておくと、相関みたいなものが見えてくるかもしれない。でも、前日にあったことといっても、勉強するか、散歩するか、それ以外ではトイレにいったとか、三食食べた、とか、その程度しかないので、日記のつけようがない。ほんとうにこまった。

おもったことはTwitterに狂ったようにpostしているし、postをアーカイブするサービスを使っているので、あとから読みかえることもできる。逆にいうと、日々においておれは考えることしかしていないので、行動記録としての日記を書けるほどの行動ができていない…。「考える」といっても、リア充憎い、だとか、ひだまりスケッチおもしろい、だとか、絶望放送おもしれえ、だとか、その程度。考えてない。嘘をついた。

何度読み返しても、4番目の夢で出てきた加賀愛のことが忘れられない。いまでも鮮明に覚えている。補正がかかっているかもしれないけど。

「嫌な顔ひとつせずに」と書いたけど、彼女は常に困ったような照れているような顔をしているだけで、「いいんだよ」とも「もういやだ」とも言わなかった。ただ、「困っているなら肩を貸してあげるよ」というように、「肩、使っていいよ」と言っただけだった。女の子と触れ合っているという事以上に、歩くことすら満足にできない自分を見捨てずに、目を背けずに、「助けてあげてもいい」と考えてくれるということに、とても嬉しくて嬉しくて、仕方がなかった。

自分でもおもってしまうくらいに、都合のいい夢だな、とはおもう。でも、再び夢の中で会ったような彼女に会いたいとはおもわない。会えたら嬉しいけど。そういう、「助けてあげてもいい」と考えてくれる人がいる可能性を知れただけで、そう考えてくれた人の記憶があるだけで、救われたような気持ちになる。

一生懸命考えたけど、はっきり言って加賀愛である必要性はあまりなく、ただ、好きな女の子だったから出てきたんだとおもう。