ずっと懸念だった人前で話すイベントが終わってほっとしている。人前で話すことはそれなりに場数を踏んできて慣れているつもりだけど、いつになく気負ってしまってくたびれた。

いい発表にしようと思って、実際にいいものになったんじゃないかなと、反応を伺ってみて思うけど、しかしこんなに疲れるのは初めてだし、割に合わない。
もうちょっとうまくやりたい。


家の MacBook Pro を macOS Sierra に上げた。キーボードのリマップに使っていた Karabiner が対応しておらず Karabiner Element を使っているが、SandS ができなくて日本語を打つのも一苦労。

それとは別に最近、Ulysses というアプリをつかってメモをとるようにしているけど、これと AquaSKK の相性が悪くて特定の条件で必ずクラッシュしてしまう。

そういったことがあって AquaSKK をやめようかなと思う一方、日記を書いたり、普段から日本語を書いているし書くことが好きだから、もっとたくさん書けるよう慣れた IM を使いたいし、それは生産的であってほしい。

なによりソフトウェアエンジニアとしてせめてバグレポートを送るくらいの貢献もせずに乗り換えるというのは、なんというか間違っている気がする。


めっきり涼しくなったのでこの前、ひさしぶりに植物園へ出かけた。

今の時期はとりたてて鮮やかということもないけれど、真夏のあの狂った日差しと熱気の名残がどこかにあるような、そういう空気が漂っている中で落ち着いて眺める草花たちは、季節と共に移ろう太陽光のせいか違って見える。

あんなに終わってほしいと思っていた夏がようやく終わったと思えばもう10月で、すぐに寒くなって寒椿が咲き、梅が香り、やがてまた桜が咲きはじめる。

そんな循環が怖くて寂しい。いまこの瞬間の季節を、時間を好きになったとしても、また巡ってくるか不安になる。二度と同じ季節はやってこない気がする。二度と同じ季節を好きになれない気がする。


姿勢が悪いのか、右手親指が少し痛い。腱鞘炎になったらいやだなあ。

仰向けになって重力に逆らいながらスマートフォンを片手で操作するのがだいぶよくないと思う。

小指を骨折して思ったけど、何をするにも手って大切だ。五感のすべてが集っているような気さえする。


最近まで仕事が楽しかったので、やりがいとか気持ちの充実感みたいなものをそれに任せきりでいたけど、やっぱりよくなかった。いまの自分の立場では仕事というのは外的な要因を取り除けない。

自分のモチベーションは完全に内側で燃やさないといけない。自分に言い訳を与えてしまうし、自分がなにもかもうまくやれているときに他人の・よそのせいで台無しになるのは絶対に避けないといけない。
楽しむためにやることが嫌な気持ちで潰えてしまうようなことはあってはならない。「楽しもう」と思えなくなってしまう。嫌いなことは増やさない。

それにあんまり他人に横槍を入れられてしまっていると、そのうち人殺しになってしまうだろう。