正直、1年くらい生活するだけの貯金があればとりあえず実家にでも帰るかって身軽にいけるはずで、それができていないということはつまり貯金がない、ひいては金銭の懸念があるので身動きがとれていないということなんだよな。
最近、高い買い物をしてしまったし。

それさえどうにかできればさっと動きたい。

6月だけど空梅雨で雨が降らず湿度もあまり上がらなく過ごしやすい。むしろ朝晩は冷えて体調を崩しそうならくらいである。

しかし週末の空はだんだん濁りはじめたし、過ごしやすいというのも相対的な話であり日中出歩けば疲れる程度には暑い。

それに加えて最近はいつどこへ行っても観光客が多くてげんなりするので、京都市内で出かけて写真を撮る意欲が減退している。

そういう事情もあったりして、最近引っ越そうかなと考えている。仕事のことは深く考えずに、住む場所を変えるとしたらどうしたいだろうかということを考える。

ちょっと前は適度に栄えているところのほうが生活に困らず飽きも来ないだろうからそういうところに住みたいと思っていて、実際そういう条件に合うので京都に住んでいる。

しかし人が多すぎて週末を家で過ごしたり京都の外で過ごす時間が増えるにつれて、そんなにこだわらなくてもいいかなと思った。

せっかくの機会なので京都を出てもいいかな。

上手くなりたい

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またホルンを吹きたいと思いはじめてから、もっと上手くなりたいと強く思うようになったし、社会人になって限られた時間で効率よく練習したいのでレッスンを今年の春から受け始めた。

我が事ながら日々上達 (というよりも勘を取り戻すというほうがしっくりくるか) が感じられて楽しくなる一方で、どうしても楽器が借りものであるがゆえに壁を感じるようになった。グレードとかこれまでの手入れ状態なども相応で、もう少しいい楽器で楽しく吹きたいな、と思って楽器を買うことを検討しはじめた。

本格的に検討しはじめたのが旅行から帰ってきたあとで、レッスンを受けている先生とお店にいくつか取り寄せてもらって試奏して選んだ。

買ったのはWenzel Meinlの205CLT. ガイヤー巻きの105と悩んでこっちにした。これまで吹いていた楽器よりずっといい音がしてスケールを吹くだけでテンションが上がる。

楽器を買うとワクワクしてテンション上がるけど、ずっと吹いてて自分の楽器を持つことに憧れていたホルンを買ったというのはけっこう感慨深いなあ。

普段はサイレントブラスを付けて練習しているけれど、音響のちゃんとしたところで吹く時間も増やしたいと思った。ホルンって他の大多数の管楽器と違って客席に直接音が飛んでいかないので、環境と渾然一体となって演奏する感覚が強い。

満足することなく練習してもっと上手くなりたい。

「あ、この人は今知ったかぶりをしているな」と気付く瞬間が増えたように思う。自分が深い理解を得たのか、敏感になったのか、そういう人が周りに増えたのか、あるいはいずれかの複合なのかはよくわからないけれど。

どういう時に気付くかというと、ある話題を広げようとせず断じようとするときがあって、そういう仕草が防衛的に映る。それ以上掘り下げるとぼろが出るので線を引こうとしているように見える。

しかし書いていて、単にその人の浅学ゆえに既に底を見ていると信じ込んでいるのかもしれないな、と思った。

ものすごく上から目線でものを見ているような言い方をしている気もするけど、そういう場面に出喰わすと広がるはずだった話題に天井が設けられてしまって、せっかくの芽が潰れてしまったなあと惜しむ気持ちでいっぱいになる。

こういうことがあってこうなんですよね、と話すと、さらにこういうところもあるんだよね、と新しい視点をもたらしてくれる周りの人と話すのが好きなので、そういう楽しみの芽は育てていきたいし、だらだらと生きながら時間の経過と共に半ば惰性で重なってきた知識にあぐらをかくことなく、発見に喜びを感じつづけたい。

最近、職業柄を意識して事実と見解をはっきり分けて述べることを意識し、事実は事実とわかるように断定調で話すようにしているのだけれども、言い切る言葉の強さだとか事実を人に伝える立場の優位性みたいなものにだんだん意識が歪んできている気がする。

いかんな、と思っているのでもっと楽しくいきたい。

アメリカで催されるカンファレンスに参加することになった。同僚数人と一緒にモノレールに乗って羽田に向かう。

既に航空券を買っていたけどよく考えたら出張扱いで旅費は出るのではと気付き、払い戻して買い直そうとする。

調べるとなぜかヘルシンキ経由でサンフランシスコ? に行く便があって、それに乗ろうかちょっと悩む。